こんな街「八街市」

 
八街市について 
 
地名の由来
本市の中でも古い歴史を持つ旧川上地区と文違、榎戸、大関は天正19年(1591)の徳川検地(徳川家康江戸入府の翌年)の時には、すでに村として確立されていたものと推定されていますが本市の多くは、江戸時代には佐倉七牧とよばれ幕府の野馬の放牧地でした。
 明治初年、新政府は救民対策事業として幕府の放牧地であった小金、佐倉両牧の開墾を決めました。佐倉牧の部分であった柳沢牧、小金牧、佐倉牧の開墾が始められてから8番目に行われたので「八街」の地名が明治5年11月2日につけられました。
 
人口
 八街市は首都圏の拡大によって昭和62年から毎年約2,000人以上人口が増加し、特に平成元年からは”約3000人”の増加が続いています。令和2年4月現在69,169人となっています。
 
市制施行
平成2年10月の国勢調査で人口が5万人を越え、平成4年4月に、千葉県下30番目の市となりました。